春と言えば出会いと別れ…あのときのあの歌をもう一度
今週のお題「わたしの春うた」ですぐに思い出されるのが、ヴィヴァルディの四季「春」チャンチャラチャンチャーン♪とヴァイオリンの音色が頭をよぎります。YouTubeでヴィヴァルディと打つと先頭で出てきます、そうそう入学式の時期にテレビや商店街のスピーカーから流れてきました。
しかし私が本当に懐かしくそして今なおこの時期に聴きたい「わたしの春のうた」は、中学を卒業した頃に大ヒットした柏原芳江さんの「春なのに」です。若い人は知らない方もいらっしゃると思いますのでちょっとご紹介します…
- 作詞作曲は中島みゆきさん
- 1983年1月11日に発売33万枚を売り上げる
- 柏原さんにとって「ハローグッパイ」に続くヒットシングル
- 当時最高視聴率41.9%のおばけ歌番組「ザ・ベストテン」で初の2位を獲得
- 同年レコード大賞で金賞を獲得
- 2年後このヒットを受け中島みゆきがセルフカバーをだす
今でも卒業式などで使われる事もあるようで平成生まれの方にも知られているようです。
当時私は柏原さんではなく同時期に活躍されていた河合奈保子さんの大ファンでファンクラブに入会し中野サンプラザや日本青年館などで開かれたコンサートにお小遣いをつぎ込み、河合奈保子命と書かれたハチマキや袢纏を着て歌の合間に掛け声を入れるいわゆる「親衛隊」をしていました。親衛隊は当時、女性アイドルの数だけあり大きなところは数千人の親衛隊が組織されていました。時には親衛隊同士のいざこざも起こっていました。その後各アイドルの親衛隊の隊長達は争いがエスカレートしないよう横のつながりを求め、親衛隊同士の垣根を越え親衛隊連合を組織しました。その初代の連合長になったのが柏原よしえさんの親衛隊長で当時は神のような存在でした(笑)
そんな事をして過ごしていた中学3年間でた。
卒業式を迎えたその日、今でも鮮明に覚えている出来事があります。卒業式と謝恩会の間に「卒業おめでとう」と後輩たちが黒板に大きく書いてくれた教室の片隅で友人3人と思い出話しをしていました。と教室の小さなスピーカーから「春なのに」が流れてきました。「珍しいね歌謡曲流すんだ~」と友人。
もう一人が「これ結構好きなんだよな~」そして歌の盛り上がる所を3人で口ずさむ…
「春なのに~お別れですか」
春なのに~涙がこぼれます」
「春なのに~」「春なのに~」「ため息またひとつ~」
と私「めちゃくちゃ悲しいね、でも実感湧かないね~好きな女の子とかいたらこんな感じかぁワハハハ」
とそこへ見慣れない3人の女子生徒が教室に入ってきました。
そして一人の女子生徒が私に向かって「先輩ちょっといいですか?」その見慣れない女子たちは2年生の後輩でした。その光景を見た私の友人2人が「じゃ俺たち先に行っとくね!」と教室を出てしまった。「えっちょっと待ってよ」という私の言葉を遮るように「〇〇子、言いなよ、ほら」と3人の代表のような女子。さらに「チャンスだよ今」と後ろでもじもじしている女の子の背中を押した。
「せ、先輩。私、ずっと前から先輩に憧れてました」『えっ?これってなに?コ・ク・ハ・クだよね!?そう誰が見ても卒業式を迎えた先輩への最後の告白だ~』と心の中でつぶやく私。
突然、女子から告白され舞い上がってしまい返事をしなければいけないのにうまく言葉が出せない。
するとさらにその子が「もし、もし、よかったら…」ともじもじする女子。
『えっもしよかったら何だ?いやいやそんなラッキーが最後来るわけないよな~って、
オイオイ、よく見るとこの子、めちゃくちゃ可愛いな~身長もちょうどいい感じだし、顔小っちゃいし、目はクリっとしてて、スタイルもよさげ、髪型は大好きな河合奈保子風だし…えっ、カ・ワ・イ・ナ・ホ・コ⁉ そうだ、今まで僕は河合奈保子・命 で全く女子とはお付き合いをした事が無かった…。もしこんな可愛い子と付き合えるなら最高だよなぁ~』
と高鳴る鼓動はMaxに。さらに私の妄想が膨らむ。
『このシチュエーションは青春ドラマとかで見たことあるヤツかぁ~て事は、次に彼女が言う言葉は、言葉は、こ・と・ば・は~もう決まってるな~いや~どうしよう』
と私は彼女の言葉を待たずに先走った。
「君の気持ちは分かる、分かるんだけど僕はもう卒業だし、高校も遠いし」
「それにまだ君のこと何も知らないし、突然付き合うって言われてもね…」
と僕の言葉にキョトンとする3人。
そして「あの~わたし達、記念に先輩の制服のボタンが欲しいんですが…」
「えっボタン?あっボタンが欲しいのね」
勝手にひとりで盛り上がって勘違いしていた私穴があったらスッポリ入りたい、顔から火が噴き出るくらい赤面しながら学ランのボタンを3人に渡しました。
そんなやり取りの間流れていたBGMが「春なのに」。
「春なのに~春なのに~ため息またひとつ」でした。